トランスジェンダーとは ーその歴史と、可能性ー 渡部桃子 より


トランスジェンダーとは
ーその歴史と、可能性ー
渡部桃子 より



>すなわち、ポスト構造主義的な主体形成論の流(乱)用で、ほとんどの人がTGと見なされうるようになってしまうことである(実 際、,所与のジェンダーにそぐわない振る舞いをしたことがない男や女など、いるだろうか)41)。その結果、政治性は失われるだろう。実際、クイアという用語/コンセプトは、そのような運命をたどりつつあるとわたしは思う。 しかし、TGには身体との強い違和感、身体の感覚を出発点とするトランスセクシュアルが含まれている。つまり、ポスト構造主義的な主体形成論では、無視されがちだった(あ るいは、無視していると批判される)身体、また主体、自身の感覚を盛り込んだ主体形成論 を導き出せる可能性を内包しているのが、TGとも言えるのではないだろうか42)。この ような視点からのTGについての研究は,まだ始まったばかりである。

これ。(2001年)

トランスジェンダーとは
ーその歴史と、可能性ー
渡部桃子 
(link: https://www.jstage.jst.go.jp/article/americanreview1967/2002/36/2002_36_75/_pdf/-char/ja) jstage.jst.go.jp/article/americ…


> 結局のところ、ヘテロ的規範も、ジェンダーを基盤としたもの だったことも明らかになったのである。このようなTGの潜在的可能性を理論化したのが,『 ジェン ダー ・トラブ ル ― フェミニ ズム とアイデンティティの撹 乱(Gender Trouble:
Feminism and the Subversion of Identity)』 を初めとする、ジュデ ィス ・バトラー(Judith Butler)の 著作であることは言うまでもな い36)。 ただし,TGがTGとしてと どまらなければ、そのような可能 性もな い。