「実践の中のジェンダー」小宮友根 p20 p21

メモメモ
「実践の中のジェンダー」小宮友根
p20 p21
バトラーの主張に即して言えば、「社会的構築」という思考が「自由意思/決定論」という土俵を呼び込むものである限り、その思考は、「どこまで自由なのか」あるいは「どこまで(生物学的ないし社会的原因によって)決定されているのか」という問いのもので、因果説明という議論様式へとコミットせざるをえない。その結果、生物学的説明に包摂されてしまうのであれば、「構築」という言葉で「性現象の社会性」を思考することには、たしかに「制約」があると答えるだろう。そこでは結局、「社会性」と呼びうるものは何も残らないかもしれないのである。

>だが、「性現象の社会性」について考えることは、性差を社会的原因によって説明することにつきるのだろうか。もしバトラーが上述したような思考上の「制約」を越えるために「パフォーマティヴ(行為の遂行)」という考えを必要としたのなら、そこには性差の原因を問うのとは異なった水準で「性現象の社会性」に着目する視点があったはずだ。

レリヴァンス

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2019年8月31日

さかしょう @sakasyou0875@mstdn.jp
>かれは日常生活での常識を世界をとらえる第一次的概念とよび,社会科学の理論を,同じ世界の一部を,特定の関心(経済,政治などなど)から選び取って再構成した第二次的概念であるという。シュッツによると,日常世界での常識にもとづく思考(第一次的概念)は次のような特徴をもっている。
 
① 知識の社会的在庫(stock of knowledge) 日常世界では,私たちは,これまでにすでにその社会がつくりだしてきた知識の社会的在庫にもとづいてものごとを見る(病気の原因は現代人であれば目に見えないばい菌だと考える。昔は目に見えない悪霊の仕業と考えた。どちらが正しいかは別として,私たちはその社会の知的在庫にしたがってそう思っているのである)。こうした常識を自明視した見方をシュッツは自然的態度とよんでいる。

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さかしょう
@sakasyou0875@mstdn.jp
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>レリヴァンス(relevance)
 シュッツは,ひとびとがそのときに注意している領域をレリヴァンスという。仕事をしているときの人間のレリヴァンスは業務にかかわる領域だろうし,仕事を離れたときは家族との楽しみや,自分の趣味がレリヴァンスになるだろう。ひとびとのあいだに相互主観性がなりたつとは,ひとびとが共通のレリヴァンスをもつということである。
 
 多元的な現実(multiple reality)
 ひとびとは日常生活の世界以外にも,いくつかの非日常世界を体験する。夢の世界では日常と非日常が逆転する。学生の皆さんなら,日常生活の自然的態度とはことなったレリヴァンスにもとづく学問の世界があることを知っているだろう。宗教の世界にも日常世界とことなる現実(reality:当事者がそのときに「現実」であると感じたこと)が存在するだろう。シュッツによると,私たちは多様な世界で多元的な現実を経験する。しかし,そのなかでも日常生活の世界は,その他のさまざま世界の土台になる至高の現実(paramount reality)を提供する。
 

2019年8月31日 23:04 · Web · 1 · 0 · 0 · Webで開く
2019年8月31日

さかしょう @sakasyou0875@mstdn.jp
引用

現象学的社会学エスノメソドロジー http://www.hkg.ac.jp/~sawada/kougi/22/22.htm

現象学的社会学エスノメソドロジー
www.hkg.ac.jp
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MASTODON とは?

小宮友根 「実践の中のジェンダー」より

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2019年7月21日

さかしょう @sakasyou0875@mstdn.jp
メモメモ
「実践の中のジェンダー」小宮友根
p31

>バトラーのパフォーマティヴィティ概念は、根拠が不十分なまま規範理論化されたり、あるいは認識論的主張として理解されたりしてしまえば、ジェンダー概念に対するそのインパクトが見えなくなってしまう。それに対して、アイデンティティや身体について、私たちが言語カテゴリーを用いた行為記述とともにそれらを理解し、多様な社会生活を営んでる様子へと注目する概念だと理解されるなら、その社会生活の実際を記述することで「性現象の社会性を」あきらかにする道筋が開ける。

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2019年8月13日

さかしょう @sakasyou0875@mstdn.jp
メモメモ
「実践の中のジェンダー」小宮友根
p30 p31

>なにより、私たちが性別にかかわる多様なアイデンティティを帯びるのは、そうした社会生活の中でのことにほかならない。その意味で人間社会の中で性別という属性が持つ意味は、たしかに「行為をとおして構築」されている。であるなら、さまざまな概念の連関をたどり、その連関に規制された実践の中で、私たちがどのようなアイデンティティを帯びるのかをあかるみに出していく作業は、性差の原因をめぐる語りとは異なった平面で、「性現象の社会性」について語る方法となるはずだろう

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2019年8月13日

さかしょう @sakasyou0875@mstdn.jp
メモメモ
「実践の中のジェンダー」小宮友根
p29

>社会成員自身による行為記述との関係に十分注意が払われないまま被説明項としての行為を研究者が定義した上でその因果説明を与えるような議論は、社会成員自身による行為記述こそが人間社会の本質的な構成要素であるという重大な問題の上を、いわば論理的に素通りしてしまう

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さかしょう
@sakasyou0875@mstdn.jp
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メモメモ
「実践の中のジェンダー」小宮友根
p20 p21
バトラーの主張に即して言えば、「社会的構築」という思考が「自由意思/決定論」という土俵を呼び込むものである限り、その思考は、「どこまで自由なのか」あるいは「どこまで(生物学的ないし社会的原因によって)決定されているのか」という問いのもので、因果説明という議論様式へとコミットせざるをえない。その結果、生物学的説明に包摂されてしまうのであれば、「構築」という言葉で「性現象の社会性」を思考することには、たしかに「制約」があると答えるだろう。そこでは結局、「社会性」と呼びうるものは何も残らないかもしれないのである。

>だが、「性現象の社会性」について考えることは、性差を社会的原因によって説明することにつきるのだろうか。もしバトラーが上述したような思考上の「制約」を越えるために「パフォーマティヴ(行為の遂行)」という考えを必要としたのなら、そこには性差の原因を問うのとは異なった水準で「性現象の社会性」に着目する視点があったはずだ。

2019年8月13日 10:42 · Web · 1 · 0 · 0 · Webで開く
2019年8月31日

さかしょう @sakasyou0875@mstdn.jp
メモメモ
メモメモ
「実践の中のジェンダー」小宮友根
p66
前章で示唆した通り、問いのレリヴァンスを現実の行為の場面に差し戻すならば、行為と集合的秩序との関係を異なったしかたで考察できるようになるだろう。

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2019年8月31日

さかしょう @sakasyou0875@mstdn.jp
メモメモ

レリヴァンス

https://mstdn.jp/@sakasyou0875/102711968296915457

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MASTODON とは?

トランスジェンダーとは ーその歴史と、可能性ー 渡部桃子 より


トランスジェンダーとは
ーその歴史と、可能性ー
渡部桃子 より



>すなわち、ポスト構造主義的な主体形成論の流(乱)用で、ほとんどの人がTGと見なされうるようになってしまうことである(実 際、,所与のジェンダーにそぐわない振る舞いをしたことがない男や女など、いるだろうか)41)。その結果、政治性は失われるだろう。実際、クイアという用語/コンセプトは、そのような運命をたどりつつあるとわたしは思う。 しかし、TGには身体との強い違和感、身体の感覚を出発点とするトランスセクシュアルが含まれている。つまり、ポスト構造主義的な主体形成論では、無視されがちだった(あ るいは、無視していると批判される)身体、また主体、自身の感覚を盛り込んだ主体形成論 を導き出せる可能性を内包しているのが、TGとも言えるのではないだろうか42)。この ような視点からのTGについての研究は,まだ始まったばかりである。

これ。(2001年)

トランスジェンダーとは
ーその歴史と、可能性ー
渡部桃子 
(link: https://www.jstage.jst.go.jp/article/americanreview1967/2002/36/2002_36_75/_pdf/-char/ja) jstage.jst.go.jp/article/americ…


> 結局のところ、ヘテロ的規範も、ジェンダーを基盤としたもの だったことも明らかになったのである。このようなTGの潜在的可能性を理論化したのが,『 ジェン ダー ・トラブ ル ― フェミニ ズム とアイデンティティの撹 乱(Gender Trouble:
Feminism and the Subversion of Identity)』 を初めとする、ジュデ ィス ・バトラー(Judith Butler)の 著作であることは言うまでもな い36)。 ただし,TGがTGとしてと どまらなければ、そのような可能 性もな い。

ジェンダークリティカルフェミニズムの主張


Mastodon のメモ引っ越し
これはジェンダークリティカルフェミニズムについて解説された動画から抜き出したジェンダークリティカルフェミニストの主張とされているものです。このどれかを言うと「TERF」と認定されます

" | ContraPoints"
https://youtu.be/1pTPuoGjQsI
メモ
「GCFの主張 その1」
男の魂が女の体に囚われているなんてありえない。男脳女脳は存在しない、女になりたいからと言って女になれるわけではない。ジェンダーアイデンティティには意味がない

「GCFの主張その2」
"女として生きてる"ってどういう意味?
化粧してネイルして…抑圧的なステレオタイプを強化してるだけではないか
「GCFの主張その3 」

>「家父長制の構築である 男らしさ/女らしさは 乗り越えるべきでものであって、 適合すべきものじゃない。
本物のフェミニズムは、 ジェンダーを強化じゃなく、廃止するもの」

↑というようにGCFはジェンダーの廃止 を主張する。
「GCFの主張その4」
GCFは「男性特権」について主張する
>「女性としての苦しみを味わってないのに 女性だと主張するだけで 女性になれると思うなんて どうみても典型的な男性特権だ」
Gender Critical | ContraPoints
YouTube
2020年2月24日 6:41 · Web · 1 · 0 · 0 · Webで開く
2月24日
さかしょう @sakasyou0875@mstdn.jp
「GCFの主張その5」 GCFは男性としての社会への適合 について主張する。お前は男として育ち 少女としてのトラウマを体験せずに、 男性特権から何十年も恩恵を受けている。服を変えただけじゃ変わらない。

「GCFの主張その6」 GCFは子作りの抑圧 について主張する。
>「お前(トランス女性)には 生理のせいで辱めを受け、 望んでいない妊娠に怯え、 中絶の権利のために戦い、 出産の痛みに耐えるのが、 どんなものか分からないだろ。」

「GCFの主張その7」 GCFは女性の語彙の消去について 懸念する。>「活動家は 女性の体と女性の抑圧に関する ボキャブラリーを消そうとしている。
ジェンダーイデオロギーのために "妊娠した人々"や"生理者"と言わなくちゃいけない。
私は子・宮・を・持・つ・も・のだ。
消されないぞ」

「GCFの主張その8」
>「TERFという言葉は中傷だ。 TERFは女性を黙らせるために作られた中傷用語だ。
いや、TERFは女性への暴力を扇動するための ヘイトスピーチだ!」